2024年3月18日
( 写真は上杉神社 山形県米沢市 明治9年、上杉謙信公を祭神として建立された )
人は何故か旅という一文字にからきし弱い。
私も其の一人かも知れない。
気が付いたら宛もなく列車に乗っていた。そんな経験は幾らでもある。
数字とか文字にも弱い私。
気が付いたら三重県の人口123人の小さな村を彷徨い歩いていた自分に驚く…。
さて、ある企業の朝礼では、こんな言葉を確認し合うそうです。「楽しくなければ仕事じゃない。楽しくなければ会社じゃない。楽しくなければ人生じゃない。世界で一番楽しい会社を創ろう」。なかなか素敵な考え方ですが、これが社外でもすこぶる評判がよいようで。
文章で読むと、「楽」という漢字がたくさん出てきますね。この文字を見るだけで酔いしれて、「樂」という文字を求めて旅に出る私。これって病かしら?ちなみに、某団体の重役の方から教えていただいた「人生は芸術だ!」も大好きな言葉です。
それにしても、「楽」「樂」という文字は、見るだけでも心がラクになりますよね。字を分解したら、何か深い意味が隠されているのかも…と思うのは、時間を持て余している老人の悪い癖かしら?でも、「楽あれば苦あり」とも言うので、あまり楽観視してはいられない?そうそう、音楽ならガクと読みますね…と、眼に入ってくるものすべてに興味津々な私です。
言われてみれば、社名や個人名も含めて、周囲を見渡すと「楽」の文字が付く言葉がたくさんあります。楽天?三楽?福楽?圓楽?あるね、あるね!数え始めるとキリがありません。
だからと言って、決して安易に「樂」を求めているわけではなく。文字に関して言えば、むしろ「3」という数字が気になったりします。ある日の真夜中、まさに午前3時頃の寅の刻。正夢に叩き起こされたりと、「3」には摩訶不思議なご縁があるのです。
「楽」「3」に限らず、言葉や数字をじっと見つめていると、何か心に訴えてくる不思議な力が存在するような気がします。時には、身体を動かしたくなるような文章に出会ったり。たとえば、ある雑誌を何気なしにページを繰っていると…。
『為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり』〜上杉鷹山公遺訓
If you do it, it will be done,
everything you have to do.
It’s not for peoples sake.
いきなりこんな御言葉が眼に入ってきたら、躊躇なく山形へ旅に出ちゃいます!そして「東京駅よりも上野駅から新幹線に乗ってみようかな」「いや、新幹線よりも各駅停車の旅の方がよいかも?」と、ワクワクが広がっていきます。
というわけで、いま、あっと言う間に宇都宮駅を通過しました。今回は、検討の結果、時間優先で新幹線を利用しています。
どっさ!湯っさ!山形さ!!ワインと上杉鷹山公が私を待っている!急げ、米沢へ!!
山形は酒どころ、そしてワインの銘醸地。県の南部に位置する米沢市は、今年1月の発表で人口77,973人の城下町です。今回の旅で改めて学ばせていただいた上杉鷹山(治憲)は、出羽国(現在の山形県・秋田県)の米沢藩9代藩主にして山内上杉家25代当主。1751年7月20日に日向国(現在の宮崎県)は高鍋藩の秋月家に生を受けましたが、生まれたのは現在の東京都港区の麻布高校の敷地内にあった藩邸だったとか。
10歳で米沢藩8代藩主の上杉重定の養子となり、17歳で第9代藩主に就任。莫大な借金を抱えて破産寸前に陥っていた藩財政を立て直し、倹約を奨励し産業振興を図るなどの藩政改革で多大な功績を挙げました。その高名は海外にも響き渡り、アメリカ第35代大統領J・F・ケネディの来日時、新聞記者から最も尊敬する日本人は誰かと訊ねられた際にその名を挙げたというエピソードも有名です。
公の幼名は松三郎、続いて直松、直丸、勝興、16歳で元服した際には時の将軍徳川家治公より諱の一字をいただいて治憲と名乗りました。よく知られる鷹山という名を用いたのは、総髪した52歳の時からです。
( 上杉鷹山公之像 )
雪深い米沢を訪ねた今回も多くの方々との出逢いに恵まれましたが、あらためてその教えの深さに触れる思いでした。最初にご紹介したのは、鷹山公の遺訓です。
「為せば成る、為さねばならぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」
何事もやればできるが、やらなければ何ひとつできない。できないのは、ただ、やらないだけなのだ。他に理由などありはしない。
学問は、国を治める為の根元。鷹山公は、藩校『興譲館』を創設し、子弟の教育には特に力を入れました。また、米沢と言えば郷土料理も思い浮かびますが、自ら飢餓救済の執筆をした手引書『かてもの』の発行も特筆すべき功績です。かてものとは、主食に混ぜて炊くものを意味していますが、山形県南部の寒冷地に位置する米沢藩の人々にとっては、まさに頻発する飢饉への備えとなりました。
天明3年(1783年)から続いた大凶作は、藩の人々の暮らしに深刻な影響を与えました。翌・天明4年の米価は1俵が2倍から5倍にも跳ね上がったそうですが、鷹山公は新潟や酒田から米一万俵買い上げ、領民に分け与えたといいます。この政策により、米沢藩は天明の大飢饉においても1人の餓死者も出さずに済んだとか。そして、この時の苦しみの経験から生まれたのが『かてもの』だったのです。
( 書籍 かてもの )
江戸から本草学者の佐藤中陵を呼び寄せ、藩の侍医だった矢尾板道雪らに米などの代用食になる動植物の研究を命じ、その成果がまとめられました。執筆開始から2年後の享和2年(1802年)、鷹山公の意をくんで『かてもの』と命名されたこの書は、1575冊が刊行されたそうです。内容を見るにつけ、地震国である我が国だからこそ改めて本草学を学び直すべきでは、と思わずにはいられません。
倹約家としても有名な鷹山公は、周囲の反対を押し切って最後の最後まで一汁一菜、綿服着用の生活を通したそうです。一汁一菜の食生活とは、今の私には真似できるかしら?ということで、牛肉の本場・米沢に滞在しながら、今回は全国的にも有名なご当地グルメの米沢ラーメンで舌鼓。
( 米沢市内のラーメン店 )
人材登用に優れ、優秀な補佐役とともに藩政に望んだ鷹山公。ご本人も若い頃からよき指導者に恵まれたわけですが、中でも幼少の頃から学んだ師である儒学者の細井平洲の教えを生涯忘れることはありませんでした。「君主は一国万民に天として戴かれるものですから、天のような「徳」がなければなりません。天の心を自分の心として、人民の父母とならねばならないのが人君の道です」。多くの知恵を授けられた鷹山公は、最後まで師の教えを正しく守り切りました。
今こそ、改めて鷹山公から学ぶべきことがたくさんあるのでは。そんな思いを抱えながら、雪の山形からの帰途に就く私でした。
というわけで、今回は国酒を少しだけ。山形のワインは、次回の旅の楽しみにとっておくことにいたします。
( 上杉神社管長 大乗寺真ニ様直筆 )
( 取材にあたり上杉神社大乗寺真ニ管長様、並びに鷹山公の愛した酒蔵・東光の小嶋副社長様には大変お世話になりました。深く感謝申し上げます )
鷹山公の遺骸は、米沢藩歴代藩主の墓所に葬られました。明治5年(1872年)には上杉謙信公とともに上杉神社に祭神として祀られ、さらにその後、隣りの松岬神社に祀られることとなります。
最後に鷹山公の御言葉を、皆様方に。
「孝行は百行の基、万全の先であって、人の道の第一である」
著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。
★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
【17】高貴なるワインだけを愉しみたいなら、洞窟のご用意を
【18】楽しむことが大事なれど、楽しみ方は人それぞれに。
【19】よいワインが育つゆりかご、「蔵」について
【20】あれから60年、まだまだ続く「ワインの旅」
【21】片道450㎞、愛車を飛ばして出逢った「奇跡」
【22】もし『雪国』ではなく、函南だったなら…静岡県への小旅行
【23】「沙漠に緑を!」 遠山正瑛先生を偲び、山梨・富士吉田市へ
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【25】力士たちの仕草に「心」が揺れて
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【29】マキシムを栄光へと導いた「私たちのアルベール
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【31】千年の京都にはどんな”風の色”が吹くのでしょうか
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【33】緊急事態宣言解除で思い出す旅の楽しさ、素晴らしさ
【34】フランソワ一世の生誕地「コニャック」を訪ねて
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【40】「運命」を感じに、部屋の中から壮大な旅を
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2024年11月29日 発行
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