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なくても生きてはいけるが、なくては人生じゃない。【ワイン航海日誌】

なくても生きてはいけるが、なくては人生じゃない。【ワイン航海日誌】

2021年8月3日

振り返れば今日も旅人、明日もまた旅の人、そして未だ旅人なり。楽しくなけりゃ人生じゃないと人は言う。パックされた旅も悪くはないが、無計画な旅はさらに格別なり。東西南北、あても無し。さあどんな旅が始まるかしら。まるであの木枯らし紋次郎みたいに。

日本海から吹き寄せる風だけが宿の窓から吹き寄せる。ここ、瀬波温泉は初めての地なり。日本海の海の色は何故かどす黒く、風の音はヒューヒューと哭いている。あれは高校三年生の冬休みの一人旅…懐かしいなあ。

日本海

ガキの頃からいつも九十九里の浜辺で海を眺めていました。あの水平線のもうひとつ向こう側に、見知らぬ、当てのない旅の目的地が存在しています。私は、好奇心(Curiosity)の強い子どもでした。最初からソムリエという職業を目指していたわけではなく、むしろ酒を愛する気持ちはまったくありませんでした。むしろ、とある「事件」をきっかけに酒から逃れていたくらいです。

高校生になったばかりの頃のこと。私が初めて酒らしい酒(国酒、いわゆる日本酒)を経験したのが、この事件でした。同じ通学経路の先輩たちが企画してくれた入学歓迎会の席で、無理やり飲まされた一升瓶。どのくらい飲んだかは覚えていません。とにかく飲んで、いや飲まされて、二日酔いと言うよりも三日酔い。気がついた時は、なんと3日目の朝でした。

4月とは名ばかりの寒い朝、子どもの頃に親父から叩き教えられた寒中冷水マッサージ。凍てつくような井戸水に濡らししぼったタオルで、「イチ、ニイ、イチ、ニイ!」と身体全体を痛めつけるわけです。普通は30分もすると身体の芯から暖かくなるのですが、この時は別。頭の芯からフラフラで、ズキズキと襲ってくる痛みは、3日目の夕方を迎える頃にやっと治りました。

これを境に、日本酒は絶対に飲まないと自分自身に固く約束しました。高校時代は柔道部に席を置き、あまり勉強もせず、毎日、稽古に明け暮れていました。

大学進学を諦めた私は、船乗り養成のための国立高浜海員学校(現・国立清水海上技術短期大学)へ進みました。規律、校則がかなり厳しい学校でしたが、今思えば素晴らしい指導方法でした。この学校での生活は、今も忘れることができません。ここでは、柔道部に加えて相撲部にも籍を置き、やはり稽古稽古の毎日でした。

ワインの基礎もこの学校で初めて学びました。卒業と同時に、日之出汽船(現在は日本郵船に合併)の春日丸という名前の大型船に乗り、憧れの南米航路へと出たのが私にとっての処女航海です。ホノルル、南米、北米ルートの約3か月の航海でしたが、ここで2度目の「事件」が発生します。場所は南米チリの港街、バルパライソの素敵なレストランのテラスでした。

慣れない初仕事ながら一生懸命に頑張った私へのご褒美ということで、先輩が夕食に招待してくれました。海を一望できるテラス席でご馳走になったのは、チリ産の赤ワイン。現在はほとんどが欧州系の葡萄に変わっていますが、当時チリの赤ワインはパイスと呼ばれた葡萄品種で生産されたものが多く流通していました。

ぶどう

さあ、今まさに水平線の彼方へ沈み掛けている夕陽が、大ぶりのワイングラスの中にも入ってきます。真っ赤な液体からほとばしり漂う香り。ヴィーノティント(Vinotinto)、なんと響きのよいラテン語なのだ! この日を境に、私はあの第一の日本酒事件もすっかり忘れ、首までどっぷりとワインの虜となりました。

ヨーロッパでは、ワインは昔から「不必要な必要品」と呼ばれてきました。なくても生きていけるけれど、なくては人生じゃない。それが、ワインなのです。

一方では、不必要な必要品ではなく、芸術性を帯びた高貴なる存在として生まれるワインもあります。いずれにしても、ワインの造り手たちは毎年、天候に関わらず、テロワールを友として味方として、汗を流して葡萄造りに励んでいます。皆様がワインを愛でる際には、ぜひ、彼らの魂に想いを馳せていただければ。

振り返れば、私のワイン人生も今年で62年になります。願いは、一本のワインが世界平和に通じること。それをいつも神に御祈念申し上げております。

Un Repas Sans Vin Est Comme Un Jour Sans Soleil.   Louis Pasteur

ワインのない食事は、太陽のない一日と同じだ   ルイ・パストゥール


著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。

★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
【17】高貴なるワインだけを愉しみたいなら、洞窟のご用意を
【18】楽しむことが大事なれど、楽しみ方は人それぞれに
【19】よいワインが育つゆりかご、「蔵」について
【20】あれから60年、まだまだ続く「ワインの旅」
【21】片道450㎞、愛車を飛ばして出逢った「奇跡」
【22】もし『雪国』ではなく、函南だったなら…静岡県への小旅行
【23】「沙漠に緑を!」 遠山正瑛先生を偲び、山梨・富士吉田市へ
【24】一杯のワインが人生を変えた…愛知県幡豆郡一色村、とある男の物語
【25】力士たちの仕草に「心」が揺れて
【26】大嘗祭を控える秋。美しいお月様に見守られ、京都を訪ねる
【27】大嘗祭を終えた今こそ、悠久の歴史の渦へ
【28】冬の阿寒、美しく凍える森の中を歩いた6時間
【29】マキシムを栄光へと導いた「私たちのアルベール
【30】車内アナウンスに身体が反応!?長野県茅野市への旅
【31】千年の京都にはどんな”風の色”が吹くのでしょうか
【32】外出自粛の春に想う、奥の細道、水の旅
【33】緊急事態宣言解除で思い出す旅の楽しさ、素晴らしさ
【34】フランソワ一世の生誕地「コニャック」を訪ねて
【35】軍神とその妻、人生の最後に寄り添ったワイン
【36】ドイツ・ミュンヘンの名物イベントに想いをはせて
【37】伊豆、とある館にひそむ物語
【38】旅は人生そのもの、柔道とワインの達人との一期一会
【39】初めての出会いから60年余。いまこそ、贈りたい言葉
【40】「運命」を感じに、部屋の中から壮大な旅を
【41】雪の向こうに見えるもの。川上善兵衛に、改めて敬意を。
【42】散切り頭を叩いてみれば…明治は遠くなりにけり
【43】風の道、森の恵み…ワイン造りに大切なもの。
【44】風は淡い緑色…茶の安らぎを求めて静岡県島田市へ

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