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車内アナウンスに身体が反応!?長野県茅野市への旅【ワイン航海日誌】

車内アナウンスに身体が反応!?長野県茅野市への旅【ワイン航海日誌】

2020年2月27日

私は、よく職業を尋ねられます。「はい、旅人をしております」と答え、そのまま会話が進みますと、「人はなぜ旅をするのか」という議論になったり。答を導くのは、実に難しいものですよね。人はなぜ恋をするのかについて説明するのと同じくらいに。

私は、吉永小百合さんご出演のJR東日本のCMが好きです。「歴史とは学ぶものではなく、旅するものかもしれません」とは、古墳王国群馬篇でのナレーション。確かに、私は旅によく出かけます。それも、計画性のない、点と点の旅が好きなのです。

前橋市の大室公園を歩いたり、テラスから広く碧く高く晴れた空を眺めたり。そんな吉永さんのお姿を見ていたはずが、気づくと中央線特急スーパーあずさ3号に乗っていました。今年に入って早々に愛車オーリスを廃車にしたのですが、それを境に新幹線などを利用するようになった私。気楽な旅は車が便利でしたが、公共の乗り物も、慣れればもっともっと便利に感じるようになるのでしょう。ただ、今までとは違い、もう少し計画性を大事にしなければなりませんが。

今回は、新宿駅から長野県の諏訪まで乗車する予定を立てました。皆様は、1977年の大ヒット曲『あずさ2号』をご記憶でしょうか。兄弟デュオ・狩人のデビュー曲で、8時ちょうど発の特急で春まだ浅い信濃路へと旅立つ人を描いた歌詞は、つい真似たくなりますよね。ところが、駅員さんによれば、「今は新宿発のスーパーあずさはすべて奇数番号になっています」とのことでしたので、やむを得ずあずさ3号の切符を購入した次第です。

八王子、甲府とウトウトするうちに、「次は〜、茅野〜、茅野〜」のアナウンスでふと目を覚まします。諏訪まで行くはずだったのが、そのまま途中下車してしまいました。「chino、chino」の声に一瞬50年前の出来事がフラッシュバックし、身体が動いたのです。

当時、私はオーストリアに住んでいました。あれは、ウィーンの友人たちと連れ立って、フランスのコニャックの町へ一週間のウアラウプ(ドイツ語でバカンス)の旅行と洒落込んだ時のことです。その日は7月14日、フランス革命記念日の日。ヴィクトル・ユーゴー通りに面した居酒屋で、私は酔っ払いのフランス人から「チーノ、チーノ」と呼ばれました。中国人だと思ったのでしょうね。俺はジャポネだよ、と答えたのですが、彼は構わず呼び続け、しまいには飲みかけのビールを引っかけてきました。中国人と日本人の区別がつかないのは仕方がありませんが、ビールをぶちまけるのはどういうことか。私たちは当時ウィーンの柔道と空手道場で段位を取得していましたので、売られた喧嘩はしっかり買わせていただきました。今思えば若気の至り、赤面の思い出。車掌さんの「茅野」の声に、あの時の記憶が蘇ったわけです。

そんなわけで、茅野駅からアルピコ交通のバス・北八ヶ岳ロープウェイ線に乗車。今度は予定通りに、県道192号線の停留所「聖光寺前」でバスを降ります。茅野駅からわずか30分少々の道のりなのですが、下車した瞬間に驚きました。気温は零下6℃、目の前には八ヶ岳連峰の赤岳をはじめとする美しい山々。白い山、青い空、そして緑。冬の八ヶ岳はまるで大理石のようで、イタリアのカッラーラの村を思い出しました。茅野の里には、悠久の時を超える大自然が変わらず存在するのですね。

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大都会・東京のど真ん中で過ごす私たちは、やれワインの銘柄だ、やれ料理とのペアリングだ…と語ります。でも、この大自然の中では、一日ぼんやりと座って美しい空気に触れているだけでも、ワインに関する意識が人生観ごと変わりそうです。「この大自然の中で深呼吸してみませんか、貴方の脳が空っぽになりますよ」「大きな声で空に向かって『ありがとう』と叫んでみませんか、身体全身どころか魂まで浄化されますよ」と、ぜひ皆様にお伝えしたいなあ…と思いました。

さて、この茅野の旅で一番の目的となったのは、「蓼科山聖光寺」を訪ねることです。古くは橋本凝胤師、お弟子さんにあたる高田好胤師、現・聖光寺管長の松久保秀胤師、そして個人的にも東京グリンツイング時代に大変お世話になった安田暁胤師…といった高名な管長さん方がご在籍になった奈良県の世界遺産・薬師寺の別院で、御本尊様は観音菩薩様。「交通安全」「一路安穏」を専一に祈祷されています。

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このお寺は、昭和45年7月、トヨタ自動車をはじめとするトヨタグループを施主として建立されました。「交通安全の祈願」「交通事故遭難者の慰霊」「負傷者の早期回復」を三大寺命としており、毎年7月の夏季大祭には必ずトヨタグループの首脳陣が集まり交通安全を祈願することでも知られています。境内には約300本のソメイヨシノが植えられているのですが、標高約1,200mの高地にあることから、本州で最も桜の開花が遅い場所のひとつとしても有名ですね。4月下旬から5月上旬のゴールデンウィークの時期に開花を迎え、この時期に「聖光寺の桜祭り」が毎年開催されます。

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聖光寺の入口には、立派な毘沙門天様が私たちをお迎えくださります。2月の茅野はたしかに寒いのですが、この寒さは大好きです。歌人・島木春彦の歌「遠嶺には雪こそ見ゆれ澄みに澄む信濃の空はかぎりなきかな」は、茅野の里から八ヶ岳の山々を詠んだのではないでしょうか。

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茅野と言えば、生産量日本一の寒天も有名ですね。その美味しさの秘密は、低温と乾燥という気候風土が大きく関係しているようです。私の後、三代目として一般社団法人日本ソムリエ協会の会長職を引き継いでくださった故・小飼一至氏は、ここ茅野のお生まれ。生家は、寒天製造業を営んでおられました。生前の小飼さんとはよく飲み明かしたのですが、「美味しい寒天には、ワインと同じように香りがある」と詳しく教わったものです。

そんな小飼さんとは、忘れられない思い出があります。彼がまだ『マキシム・ド・パリ』で働いていた頃のこと。かなり古いロマネ・コンティを惜しげもなく開けるとのことで、「熱ちゃんも飲む?」と訊かれたので、当然イエスと即答しました。年代は忘れましたが、何と贅沢な。しかし、口に含んだ途端に、私たちの顔からは笑顔が消えます。フランスからアメリカへ、そして日本と渡る間に疲れ果てたのか、それとも単に管理が悪かったのか…。とは言え、今にしてみれば、素晴らしい体験には変わりはありません。

そんな想い出まで呼び起こしてくれた、茅野の旅。小飼ちゃん、ありがとう。合掌。


著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。

★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
【17】高貴なるワインだけを愉しみたいなら、洞窟のご用意を
【18】楽しむことが大事なれど、楽しみ方は人それぞれに
【19】よいワインが育つゆりかご、「蔵」について
【20】あれから60年、まだまだ続く「ワインの旅」
【21】片道450㎞、愛車を飛ばして出逢った「奇跡」
【22】もし『雪国』ではなく、函南だったなら…静岡県への小旅行
【23】「沙漠に緑を!」 遠山正瑛先生を偲び、山梨・富士吉田市へ
【24】一杯のワインが人生を変えた…愛知県幡豆郡一色村、とある男の物語
【25】力士たちの仕草に「心」が揺れて
【26】大嘗祭を控える秋。美しいお月様に見守られ、京都を訪ねる
【27】大嘗祭を終えた今こそ、悠久の歴史の渦へ
【28】冬の阿寒、美しく凍える森の中を歩いた6時間
【29】マキシムを栄光へと導いた「私たちのアルベール」

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