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初めてワインに遭遇した頃の想い出【ワイン航海日誌】

初めてワインに遭遇した頃の想い出【ワイン航海日誌】

2017年8月24日

私の母の故郷は千葉県旭市で、夏になるとよく九十九里浜を訪ねたものです。

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泳ぎ疲れて浜辺に寝転び、茫漠と広い太平洋を見つめているうちに、あの水平線の向こうに何があるのだろうと想いを馳せるようになりました。大きくなったら外国に行きたい、外国に行ける仕事に就きたい…。そんな思いを募らせていた頃に戦争が終わり、父が復員します。

その後も海外への思いは募るばかりでしたが、ある日、父が言った言葉が、私の心に火をつけました。曰く、これからの日本は外国との付き合いを大切にしなければならない、外国の人々と付き合えるような人間になりなさい。背中を押された私は、その後、世界中を旅してさまざまな発見と出会いを重ね、その経験を糧にして生きてきました。

話は前後しますが、私が最初にワインを学んだのは、昭和31年に入学した国立高浜海員学校でのことでした。かなり厳しい学校でしたが、日本郵船の客船のパーサーだった先生が「これは客船で飲まれた空瓶で、どこの地方のワインで、どんな品種の葡萄で造られていて…」と、ワインの素晴らしさを滔々と語ってくれたのです。

とは言え、当時のことですので、学ぶのもひと苦労です。たとえば、サンプルのボルドーワインにはちゃんとシャトーマルゴ1937年と印刷されたラベルは貼られているのに、ボトルの中には一滴のワインも残っていない。カラカラに干され切った空瓶でで、もちろんコルクもない。それで「香り」と言われても、困ってしまいますよね。そんな時代でした。

海員学校を卒業後、当時、重量物運搬船会社としてドイツのハンザラインと世界一を競っていた日之出汽船株式会社に入社しました。あれは1956年の9月の半ば頃だったでしょうか、「横浜港で春日丸に乗れ」という電報が届き、私は横浜港に停泊していた春日丸のタラップを登りました。これが大きな転機となります。

「うわ〜、どデカいな。12,000トンか…俺、大丈夫かな?」と、はやる心を抑えながら、私は南米へと向かう「人生の処女航海」へと乗り出しました。春日丸の名前は、奈良の春日神社からいただいたものだそうです。こんな立派な名前の船で憧れの南米に行ける。まさに、子どもの頃からの夢が実現した瞬間でした。七色のテープに見送られ、日本にサヨナラしたあの日のことは、今でもよく覚えています。

寄港先のハワイに着くまでは、先輩方も、そして海も、私に優しく接してくれました。当分は安泰だなと高を括り、ウキウキした気分で歩いたホノルルの街に癒されて。さあハワイを出航しようという段になって、何やら雲行きが怪しくなってきます。

まず、海の様相が激変していました。太平洋のど真ん中は、荒れるとすごいことになるんですよね。それに呼応するかのように、先輩方の様子も一変。しばらくの間、鬼と化した先輩方の教育に戸惑い、失敗に次ぐ失敗の毎日を送ることになります。それでも歯を食いしばって、力を抜かず。毎日2〜3時間の睡眠時間で頑張っていると、やっと憧れの南米・チリのバルパライソ港に入港する日が来ました。バルパライソとは「楽園の谷間」と訳されますが、ここは世界でも屈指の素晴らしい港町なんですよ。

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入港するや、意外な展開が待っていました。あの鬼のように厳しかった先輩方の態度が、再びガラリと変化したのです。「熱田、よく耐えたな! 頑張ったぞ」なんて優しい声を掛けてくださった上に、食事に連れて行ってくれるというのです。

夕食の舞台は、港の近くにある美しいビニャデルマールという入り江の町、その小高い丘の上にある見晴らし良好なレストランでした。海の幸の前菜に、カルネアサードと呼ばれビッグな牛のステーキに目玉焼きの乗った料理。当時は、ステーキなんてそう簡単にはありつけない時代ですので、感激は一気に頂点に達しました。

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この時の情景も、鮮明に憶えています。天気が良い日で、レストランのテラス席からは夕日に染まる海と空の色に、神の魂を感じました。念願の異国の地に着いた感動、景色の美しさ、鬼かと思っていた先輩方の人間的な優しさ。そして、「国」という意味を持つ「パイス」。これが、人生で初めて唇に触れた赤ワインとなりました。

パイス種から造られるこのチリの地ワインは、昨今はあまり造られていません。それはいかにも「地酒」という表現が似つかわしい味わいでした。夕日よりもっと赤く感じたパイスの色。想い出を辿っていると、その後の私の60年を決定づけた美しいワインに、再び感謝の気持ちが込み上げるのです。

ビバーチリ VIVA CHILE


著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。

 ★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう

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