2020年12月7日
人生という私の旅も、今年で82年。今日まで生かされてきたことに感謝しつつも、ふと「人生って何だろう」と考え込んだりもします。原風景は、子ども心にも醜さ、無駄さ、恐ろしさを思い知った戦争体験でしょうか。復員後、「もうこりごり」「これからは世界が平和になるべきだ」と家族に話す父親の姿をよく覚えています。
「これからは海外を目指しなさい」と諭された私は、勉強よりも柔道一筋、練習漬けの高校時代を送りました。大学には進まず、とにかく一刻も早く海外に行きたい一心で、船舶乗組員のための専門学校に入学。ここでも柔道部に籍を置き毎日練習に励みました。
そして、この国立高浜海員学校時代に、私は初めてワインと出会います。今日は、その時のことを思い出してみます。
ある日、私たちの学校に日本郵船のパーサーの方が特別講師として来校され、「プロトコールの重要性」という講義の中でワインの知識を教えてくださいました。テーブルに置かれた一本の空ボトルを前に、ワイン全般についての知識を授けていただきましたが、高校を卒業したばかりの私たちにはちんぷんかんぷん。その中でも、ひとつ、強く耳に残った言葉がありました。
先生は、ワイングラスとワインの香りの関係について語ります。ボルドーの赤ワインは熟成させることで香りを生むこと、それをより豊かに引き出す役を演じてくれるのがワイングラスであること。先生は、「料理とワインのペアリングを考える前に、まずは最適なグラスを選びましょう」と力説されました。
この時、さまざまな国々のワイングラスやクリスタルの特徴なども教わりました。とは言え、「なるほど、ワインはグラスを選ぶんだな」という程度の理解で、先生の貴重な講話もまさに「猫に小判」の状態。辛うじて記憶に残っているのは、グラスメーカーの名前だけ。「個人的な好みですが、私は『フランスのバカラ』よりも、オーストリアの『ロブマイヤー』が好きです」という先生の言葉です。
ロブマイヤー
あれから60数年が経ちました。当時の記憶を追ったところ、あの日、先生がご持参になったワインボトルは、フランスはボルドー地方の『メドック』だったことが分かりました。私も手に取って瓶口を鼻に近づけましたが、残念ながら無味無臭で、特に面白みは感じなかったことを覚えています。ところが、以前にも書きましたが、メドックと言えばあの乃木希典大将が明治天皇から賜ったワイン。最愛の妻とともに自刃する直前に愛でた「人生最後のワイン」だったです。何という偶然!
乃木希典大将が明治天皇から賜り、自刃の直前に最愛の妻と飲んだとされるワイン『メドック』
ワインの不思議なパワー、ワインの得体の知れない奥の深さ、ワインが私たちに語りかけるもの。あの近代細菌学の開祖とされるルイ・パスツールの『一本のワインの中には千の書物よりも哲学が存在する』という言葉に魅せられて、わずか500ドルを懐に、私は欧州へワインの勉強の旅へと臨みました。 目的地はもちろん、フランスのボルドー。しかし、実は当時の私が虜になったのは、芸術と音楽の聖地ウィーン、そしてホイリゲ(新酒)の里グリンツィングだったりします。
ルイ・パスツール
ウィーンの裏街をさまよい歩くと、石畳の道に歴史の重さを感じます。住みだした瞬間から、ハプスブルグ家の一員になったと錯覚するほどの魅力に溢れる街。毎日の食卓では、日常のワインがとても大切に扱われています。
住み始めて間もない頃、知人の家に招かれた時の話。ワインがサービスされて乾杯の儀式の時、私は日本で覚えた「プロースト」というドイツ語ととともに、ワイングラスを掲げました。すると、その知人から注意を受けました。ワインは高貴なるお酒なので、もっと上品な言葉で、Tumball(ツンボール)と言うのよ…とのこと。なるほど。
歴史を彩る偉人たちは、ワインを褒め称える最適な言葉をたくさん残しています。たとえば、フランスロマン主義の詩人で小説家のヴィクトル・ユゴーは、『神は水を作り、人間はワインを作った』と語りました。一方では、こんな格言も。『もし長生きしたかったら、医者の言うことを聞かずワインをガブガブ飲むことだ』。
ホテル ニューオータニに勤めていた頃、この言葉を引用したことがあります。世界ペースメーカーの国際会議のお食事会の席で、ワインの説明の後、ご列席の皆様にご披露しました。すると、次に挨拶されたドイツの高名な医師の方に、「ガブガブ」の部分を「静かに愛でる」と訂正されました。WHOによれば、ワインの適量はたった20グラムだそうですから、確かにガブガブと飲んではマズいですね。
ボルドーでも、ユニークな格言を教わりました。曰く、『不必要な必要品。それがワインである』。マダム・ポンパドールは、シャンパンを指して『飲んだ後も女性が美しいままでいられる唯一のワイン』と讃えました。イタリアには『一樽のワインには聖人だらけの教会よりもはるかに多くの奇跡をもたらす』という諺があります。ワイン愛好家なら共感せずにはいられないかもしれませんね。
先日、北海道仁木町の小学4年生の子どもたちと一緒に、同地の仁木ヒルズワイナリーでの課外研修に参加しました。登壇の機会に恵まれた私は、彼らの地元で造られているワインという飲み物を紹介する上で、レオナルド・ダ・ヴィンチの名言を引用させていただきました。『良いワインが造られる土地に生まれる人は幸福である』。
レオナルド・ダ・ヴィンチ像
そんなわけで、本日の最後に、いまの私から捧げたい「ワインに贈る言葉」をば。『ワインは知・好・楽の楽であり、愛でることにより愛でる人をプラス思考にしてくれる』。さあ、改めまして、Tumball!
著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。
★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
【17】高貴なるワインだけを愉しみたいなら、洞窟のご用意を
【18】楽しむことが大事なれど、楽しみ方は人それぞれに。
【19】よいワインが育つゆりかご、「蔵」について
【20】あれから60年、まだまだ続く「ワインの旅」
【21】片道450㎞、愛車を飛ばして出逢った「奇跡」
【22】もし『雪国』ではなく、函南だったなら…静岡県への小旅行
【23】「沙漠に緑を!」 遠山正瑛先生を偲び、山梨・富士吉田市へ
【24】一杯のワインが人生を変えた…愛知県幡豆郡一色村、とある男の物語
【25】力士たちの仕草に「心」が揺れて
【26】大嘗祭を控える秋。美しいお月様に見守られ、京都を訪ねる
【27】大嘗祭を終えた今こそ、悠久の歴史の渦へ
【28】冬の阿寒、美しく凍える森の中を歩いた6時間
【29】マキシムを栄光へと導いた「私たちのアルベール
【30】車内アナウンスに身体が反応!?長野県茅野市への旅
【31】千年の京都にはどんな”風の色”が吹くのでしょうか
【32】外出自粛の春に想う、奥の細道、水の旅
【33】緊急事態宣言解除で思い出す旅の楽しさ、素晴らしさ
【34】フランソワ一世の生誕地「コニャック」を訪ねて
【35】軍神とその妻、人生の最後に寄り添ったワイン
【36】ドイツ・ミュンヘンの名物イベントに想いをはせて
【37】伊豆、とある館にひそむ物語
【38】旅は人生そのもの、柔道とワインの達人との一期一会
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2022年07月29日 発行
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