2018年10月25日
ワインを飲むと、良き友人が増えるものです。
「酒飲めば なにか心の春めきて 借金取りは鶯の声」と髙吟した山岡鉄舟。借金取りが「困りますよ」と渋い顔をすれば、ますます興に乗ってこう言い放つわけです。
「払うべき金はなけれど 払いたき 心ばかりに 越ゆるこの暮れ」
あの「せごどん」こと西郷隆盛をして「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と言わしめたことだけはあります。私は、なぜかそんな鉄舟の生き方に心を惹かれるのです。
東京・谷中に鉄舟が眠る全生庵がありますが、こちらは臨済宗国泰寺派の寺院で、山号は普門山、開基は鉄舟本人です。ちょっと前に墓参りをした折り、全生庵の方に「鉄舟のお酒」について尋ねたことがあります。
当時にしては珍しいほどの巨漢で、身長は188cm、体重は100kg超。そんな体躯ですから、お酒はかなり強かったらしい…と教えていただきました。日本酒はもちろんのこと、白葡萄酒もかなり好みだったようで、他人様に誘われたら断ることをしなかったどころか、相手が「もう止めましょう」と音をあげるまで飲み続けたそうですので、まさに酒豪と言えるでしょう。
山岡 鉄舟 像
さて、鉄舟については、以前にもこの欄で取り上げました。なぜ、わざわざ繰り返しているかと言えば、彼の言動やエピソードは「ワインを愛する生活を愉しむ」上でのヒントの宝庫だと思うからです。
私は60年近くワインと付き合ってきましたが、20才そこそこで初めてワインと遭遇したあの瞬間を永遠に忘れることはありません。当時の私はワインの「ワ」の字も知らない若輩で、関連知識もゼロ、皆無でした。
そんな私が、チリのパルパライソの港町で飲んだ、一杯の赤ワイン。私は、それが葡萄から造られていることすら知らないまま、後の自分の人生を大きく変える行動を取るようになったのです。
南米のチリでは、ワインは「ビノ」とラテン語で呼ばれていました。私が好んで飲み始めたのは赤ワイン、つまり「ビノ、ティント」です。ペルーやアルゼンチン、ブラジルでも常に「ビノ、ティント」で押し通しました。その不思議な飲みもののおかげで、私は生き方が明るくなったと言うか、物事をプラス思考で考える方向へと変化したようにも思います。私は、以降7年以上にわたり「ビノ、ティント」との付き合いを満喫しました。
1950〜60年代当時のことを思い出すと、現在の日本は、まさしく「ワイン天国」です。自宅に居ながらにして世界中のワインが購入できますし、ともに愉しむコアな愛好家の輪も大きく広がっています。それどころか、「まったく飲めないけど教養として学びたい」と仰る方も少なくありません。ワインの世界を探究できるスクールも全国各地で開講しています。
実は、これ、他の国では考えられない規模のブームなのではないかとさえ思います。プロであるソムリエの数だって、もしかしたら世界一かも知れません。日本は、いまやワイン大国なのです。
ファンが増えるのは喜ばしいことですが、その一方で、誤解も生じているようです。
最近、巷では「高価で有名な造り手の作品でないとワインと呼べない」というような声も聴こえてくるようになりました。これは、飲む側が知識をつけた副作用で、グランクリュの等級などに振り廻されてしまっているのではないかと思います。
ですが、高価なワインにも早飲みのワインにも、それぞれに利点も欠点もあります。私たちに出来るのは、まず生産者が造ってくれたワインを楽しむことなのではないでしょうか。個人的には、「購入してすぐに飲めるのはナイスなワイン」だと思っています。
仮に、高貴なるワインを若いビンテージで購入しても、ボトルの中のワインは必ずしも「完成している」とは言えませんから、当然、熟成庫(CAVE)が必要になります。とすると、たとえば今すぐみんなで愉しみたいというシチュエーションには、少し不向きかもしれませんよね。
昔、フランス人に「あなたが最も欲しい物は何ですか」と質問して廻ったことがあります。彼らの大半は、「ヨット」「ワイン蔵」「旅」と答えました。ワイン蔵とは、日本でもよく売れているワイン用の冷蔵庫ではなく、地下深くに保管するための本格的な「洞窟」のことです。彼らは、高貴なワインを熟成保存するには、ボトルを寝かせるに相応しい蔵が必要と考えているわけですね。
上記の通り、ワインではよく「寝かせる」という言葉を使いますが、ただ単に横向きに置けばよいわけではありません。一本一本のボトルに本気で向き合うなら、それに相応しい「枕」(Oreiller)を作ってあげなければならないのです。ボルドー型のボトルとブルゴーニュタイプでは、「寝かせ方」がまったく違っていたりするのですから。
オーストリーの知人の葡萄畑にて甲州種植樹祭
高価で有名な生産者が手がけたワインを飲みたいお気持ちは、よく分かります。ならば、そのたった一本のボトルが熟成で「育つ」のを20年ほど待てますか? 地下にワイン蔵を掘り、熟成までコンディションを保つことができますか? そこまでワインにのめり込めますか?
山岡鉄舟は、自分を悟るために江戸から歩き、三島の龍沢寺で座り続けました。ある朝、龍沢寺の庭に出て富士の勇姿を眺め、「晴れて良し くもりて良し 富士の山 もとの姿は変わらざりけり」と詠んだそうです。
霊峰・富士を仰ぎながら飲むワインは、また格別です。一度試してみれば、時にはワインの深層に触れるかも知れませんし、まわりには良き友の姿があるでしょう。ワインの趣味は、ボトルの売り値や銘醸地以上に大切なものもある。私は、そう思うのです。
著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。
★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
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2022年07月29日 発行
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