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冬の阿寒、美しく凍える森の中を歩いた6時間【ワイン航海日誌】

冬の阿寒、美しく凍える森の中を歩いた6時間【ワイン航海日誌】

2019年12月25日

大自然の坩堝の中に、阿寒の町は存在します。そしてこの地に、しばれる冬の到来。春夏秋、そして冬の素晴らしい四季がありますが、私はなぜだか雪の舞う冬の季節が大好きなのです。

北の大地、北海道で「大自然」という言葉が最もよく似合うのは、毬藻で有名なここ、阿寒湖周辺ではないか。個人的な見解ではありますが、私は常々そう思っています。冬の阿寒湖に魅せられて毎年訪ねるようになってから、今回の旅ではや18年。多くの偉人たちも阿寒の地を尋ねていますが、彼らは何に魅せられてこの地に旅をしたのでしょうか。

詩人・野口雨情は、昭和15年9月にこの地を尋ね詠いました。

「駒は嘶く 釧路の平野 鶴も来て舞う 春採湖 遠く雄阿寒 群立つ雲は 釧路平野の 雨となる 釧路いとしや 夜霧の中に 月もおぼろに ぬれて出る 知人岬の 波うちきはを 啼いて渡るは 磯千鳥 山は遠いし 野原はひろし 水は流るる 雲はゆく 知人岬の波打ちきわを 啼いて渡るは 磯千鳥」

雨情、26歳の作品です。昭和15年、私が2歳のころの作品です。

野口雨情は、茨城県は磯原の海辺の地に生を受けました。現在は北茨城市にあたりますね。彼の有名な作品と言えば「七つの子」「赤い靴」「青い眼の人形」などが浮かびますが、私の生まれ故郷である千葉県佐原の利根川周辺を詠った「船頭小唄」を今でも懐かしく口ずさみます。

阿寒湖の畔、「ボッケ」が噴き出す近くには、石川啄木の碑もあります。ボッケとはアイヌ語のポフケ(煮立つ)に由来するそうです。泥や水が地中の炭酸ガスによって吹き上げられ、まるで煮立っているように見える小さな泥火山。100℃くらいあるそうですので、阿寒湖畔などで見学する際は覚えておきたいものです。

ボッケ_re

啄木の碑には「神のごと 遠く姿をあらわせる 阿寒の山の 雪のあけぼの」と記されています。おそらくは明治41年4月頃の作品でしょうか。啄木が歩いたという道があり、私も6時間かけて歩いてみましたが、阿寒の森は彷徨い歩くには、この季節は厳しすぎたか。でも、魂だけは啄木の心境にしっかりと近づいたつもりです。これも、阿寒の森の自然の凄さゆえでしょうか。

さて、阿寒を語るには、前田正名翁を忘れることはできません。九州鹿児島出身の前田正名は、日本のワインの父と呼ばれるに相応しい御方です。阿寒湖畔にある前田公園の公園のど真ん中には正名翁の銅像があり、阿寒の大自然と町民の繁栄を見守っています。

前田_re

森林の保護育成に日々努力してきた「前田一歩園」の初代園主である翁は、阿寒湖周辺に約3,800haにも及ぶ土地を所有しています。短期間ではありますが、山梨県知事も務めました。現在、山梨県で葡萄の栽培やワイン造りが盛んであるのも、正名翁の奨励によるもの。その正名翁と阿寒町との関係は、1893年から始まったようです。

西欧への留学経験のある正名翁は、阿寒湖一帯の濃い針葉樹林と美しい阿寒湖との調和に魅せられ「スイスに勝るとも劣らない景観」と感嘆しました。「この山は切る山ではなく、観る山にすべきである」と観光地への発展を信じ、1921年「前田家の財産はすべて公共事業の財産とす」との言葉を残して他界しました。享年71歳。

前田家二代目の前田政治次は病弱で、夏の一時期のみ阿寒で過ごしたそうです。父・正名翁の「雄大な阿寒湖畔の自然を後世に亘り、存続させたい」という志を忠実に守ったのは、三代目前田政次の妻・光子でした。71歳で亡くなるまでの40年間を阿寒湖畔で生活し、アイヌの方々を含め多くの住人から、阿寒のハポ(母)と慕われました。阿寒のハポ・光子婦人最大の功績は、阿寒前田一歩園の財団法人化でした。これによって、阿寒湖周辺の大自然が保護されることになったのです。

財団_re

ハポ・光子は、「何時も思うことは、自然保護というのは人間の思い上がりです。自然を保護するのではなく、大きく自然の保護を受けているのが真の自然保護であり、私たちの生命の糧です」という言葉を遺しています。その通り、阿寒の地を訪れるたびに、「我々は自然の中で生かされているのだ」と思わずにはいられません。自然のありがたさ、大切さを改めて感謝しつつ、微力ながら自然保護のお役に立てればと願っています。

この阿寒が大好きな理由は、もうひとつ、人の温かさにあります。宿泊でいつもお世話になっている鶴雅グループ傘下の『阿寒グランドホテル』では、鶴雅リゾート代表の大西雅之氏をはじめ、スタッフの皆様方の優しいおもてなしの素晴らしさに感心させられっぱなし。まさに「イランカラプテ(あなたの心にそっと触れさせていただきます)」(アイヌ語で「こんにちは」)の境地を体感させていただいております。

温泉にひたりワインを愛でる。最近では「ペアリング」や「ワインと料理のマリアージュ」といった表現が流行中ですが、阿寒の厳しい冬の森を6時間もかけて歩いていると、料理とワインの関係にこだわることさえ小さく感じてきて、北海道の名付け親、松浦武四郎の旅人の真似ごとだけでもしたくなりました。

阿寒の森_re

阿寒湖の豊かな自然は、あの松浦武四郎の心さえも揺さぶりました。よほど感動したのでしょう、美しい歌を残しています。「水面風収夕照間 小舟撐棹沿崖還 怱落銀峯千仞影 是吾昨日新攀山」(水面の風がおさまる夕日の間、小舟棹をさして崖に沿って還る。雪をかぶった山の長い影がたちまちに沈む。これは私が昨日よじ登った山)


著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。

★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
【17】高貴なるワインだけを愉しみたいなら、洞窟のご用意を
【18】楽しむことが大事なれど、楽しみ方は人それぞれに
【19】よいワインが育つゆりかご、「蔵」について
【20】あれから60年、まだまだ続く「ワインの旅」
【21】片道450㎞、愛車を飛ばして出逢った「奇跡」
【22】もし『雪国』ではなく、函南だったなら…静岡県への小旅行
【23】「沙漠に緑を!」 遠山正瑛先生を偲び、山梨・富士吉田市へ
【24】一杯のワインが人生を変えた…愛知県幡豆郡一色村、とある男の物語
【25】力士たちの仕草に「心」が揺れて
【26】大嘗祭を控える秋。美しいお月様に見守られ、京都を訪ねる
【27】大嘗祭を終えた今こそ、悠久の歴史の渦へ

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