2022年7月8日
歩くことから始まり、籠や馬に乗り、渡し舟から大型客船の時代を経て、夜汽車に旅客機、観光バスや新幹線、さらに時代はリニアへ。旅がビジネスになり、市場規模が膨らむのと歩調を合わせながら、交通機関も大きく発展してきました。
古来からの旅のひとつに、「巡礼」があります。イスラム教徒たちがメッカを目指すように、キリスト教徒はエルサレム、あるいはサンチャゴ・デ・コンポステーラへと集まります。ちなみに、ワインの聖地ボルドーのサンテエミリオンは、このサンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼の宿泊地として有名になりました。我が国も、四国八十八ヶ所巡りやお伊勢様参りは定番ですし、近場でしたらお江戸三十三箇所巡りなどもありますね。
我ながら困ったものなのですが、私は時々、昔の旅人のような気分してゆっくりと歩いてみたくなるという悪癖があります。命を賭けると言ったら大袈裟ですが、私たちの周囲にも、まるで人生の大部分を捧げる覚悟を固めているかのように旅好きな方がいらっしゃいますよね。上記のような巡礼は目的が明確な旅ですが、そうでない旅の場合は、いったい何を求めて出立するのでしょうか。
個人的な思いになりますが、私たち日本人の祖先はきっと流浪の民だったのだと信じています。今から1万3000年ほど前から約1万年も続いたという縄文時代は、どんな生活だったのでしょうか。彼らはいつ、いずこの地に辿り着き、そこを気に入って生活を始めたのか。そんなことを考えていると、タイムスリップしてみたくなりませんか?
遥か古の時代を生きた彼らも各地の人々と同じように、最初は狩猟に明け暮れたはず。便利なツールがない時代、疲れた彼らは何に癒しを求め、愉しみを味わっていたのでしょう。もしかしたら、わが国の酒の文化は、この頃にはすでに原型がスタートしていたのかもしれませんね。だとしたら、それはどんなもの? どんな方法で造り、どんな器で愛でたのかしら?
そんな思いに耽り始めると、もう身体中がゾクゾクし始めて、好奇心が止められません。いつものように、突然に「その地」を訪ねてみたくなります。と言っても、「その地」はいったいどこにあるのでしょうか。九州でしょうか、北海道でしょうか。淡路島、出雲、あるいは沖縄? 日本人のルーツに関しては喧々諤々の議論があるようですが、その一説として、沖縄県で2万年以上も前の旧石器時代の遺跡から人骨が発見された「港川人」の話題をよく耳にします。「こう暑いとかりゆしウェアが欲しくなるな」「黒真珠を愛でるのもよさそうだな」などと考えて、さっそく沖縄への旅について調べ始めるわけです。
さて、全国で実施されている発掘調査や多くの研究のほか、近年のエコ志向も拍車をかけているのか、縄文時代の暮らしへの関心が社会的に高まっているようですね。旅の準備の傍らで、心の中のイメージはさらに大きく広がり、それにつれて謎も深まっていきます。もしも酒のようなものがあったとすれば、もしかしたら果実酢のような形? それとも、単に野葡萄や山葡萄を噛んでいた? 米の口噛み酒はもっと後だったとしても、よく熟した実を噛む猿を見て、「猿真似」で果実が秘める可能性に気付いたとか? 酒盃は、もちろん縄文土器ですね。形にもこだわったのでしょうか。
こうして酒の文章を書き始めると、いつも藤村のこの歌が自然に言葉になって、口ずさみ始めます。
「暮れ行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛 千曲川いざよふ波の 岸近し宿にのぼりつ 濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む」
すると、某日、北海道の友人のお誘いから、ストーンサークルの丘から余市湾を望む旅に出かけたことを思い出しました。ストーンサークルとは環状列石、つまり多数の立石や石塊を丸く並べた祭祀遺跡、あるいは墓地のこと。北海道小樽市から余市町辺りにかけては、実に80基以上も確認されています。中でも、初めて学会報告されたという忍路環状列石は特に有名ですね。
この時に訪ねた西崎山環状列石は、余市町栄町の高台にありました。『仁木ヒルズワイナリー』から車で30分弱の立地で、調べによると約3500年前のものとのこと。ということは、縄文後期のお墓ということになるわけです。具体的な発見はされていなくても、同じ縄文でもかなり現代に近づいたこの頃なら、きっとお酒かそれに類するものはありましたよね。土器もグッとモダンになっていたのでしょう。では、乾杯の言葉は? 酒のお伴は? 周囲で獲れる新鮮な鮭に、捕らえたばかりの蝦夷鹿?
ちょっとやそっとでは畳めそうにないほど大きく開いてしまった想像の翼。収める方法は、ひとつしかありませんね。さあ、縄文時代の謎に迫る楽しい旅へと出かけましょうか!
著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。
★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
【17】高貴なるワインだけを愉しみたいなら、洞窟のご用意を
【18】楽しむことが大事なれど、楽しみ方は人それぞれに。
【19】よいワインが育つゆりかご、「蔵」について
【20】あれから60年、まだまだ続く「ワインの旅」
【21】片道450㎞、愛車を飛ばして出逢った「奇跡」
【22】もし『雪国』ではなく、函南だったなら…静岡県への小旅行
【23】「沙漠に緑を!」 遠山正瑛先生を偲び、山梨・富士吉田市へ
【24】一杯のワインが人生を変えた…愛知県幡豆郡一色村、とある男の物語
【25】力士たちの仕草に「心」が揺れて
【26】大嘗祭を控える秋。美しいお月様に見守られ、京都を訪ねる
【27】大嘗祭を終えた今こそ、悠久の歴史の渦へ
【28】冬の阿寒、美しく凍える森の中を歩いた6時間
【29】マキシムを栄光へと導いた「私たちのアルベール
【30】車内アナウンスに身体が反応!?長野県茅野市への旅
【31】千年の京都にはどんな”風の色”が吹くのでしょうか
【32】外出自粛の春に想う、奥の細道、水の旅
【33】緊急事態宣言解除で思い出す旅の楽しさ、素晴らしさ
【34】フランソワ一世の生誕地「コニャック」を訪ねて
【35】軍神とその妻、人生の最後に寄り添ったワイン
【36】ドイツ・ミュンヘンの名物イベントに想いをはせて
【37】伊豆、とある館にひそむ物語
【38】旅は人生そのもの、柔道とワインの達人との一期一会
【39】初めての出会いから60年余。いまこそ、贈りたい言葉
【40】「運命」を感じに、部屋の中から壮大な旅を
【41】雪の向こうに見えるもの。川上善兵衛に、改めて敬意を。
【42】散切り頭を叩いてみれば…明治は遠くなりにけり
【43】風の道、森の恵み…ワイン造りに大切なもの。
【44】風は淡い緑色…茶の安らぎを求めて静岡県島田市へ
【45】なくても生きてはいけるが、なくては人生じゃない。
【46】北海道・仁木町の雪は、葡萄とヴィニュロンの心強い味方。
【47】偉人たちが贈った賛辞とともに、ワインを愛でるひととき。
【48】木は日本の心、櫛は心を梳かす…秋が深まる中山道の旅。
【49】千年後に想いを馳せて、イクアンロー!北海道・阿寒のワイン会。
【50】葡萄が「えび」と呼ばれた時代を偲んで…「本草学」のススメ。
【51】カスタムナイフの巨匠は、なぜ「栓抜き」を手がけたのか。
【52】夢の中に御出現! 摩訶不思議な鳥居をめぐる京の旅
【53】明言、金言、至言…先人の御言葉とともに味わう春のワイン
1日に360万人超、世界で最も乗降客数の多い駅として2007年にギネスブックに登録された新宿駅。乗り入れ路線も多く、コロナ禍以降は「世界一…
記事をもっと見るフランス発、ノンアルコール・スパークリングの最高峰として ことの発端は1688年、シャンパーニュ出身のとある司教がしたためた書簡だったとい…
記事をもっと見る気候と木材を知り尽くす熟練のハウスメーカー 日本の総人口は2011年以降13年連続で減少し、2050年代には1億人を下回るとの予測も。働き…
記事をもっと見るメゾンブランドが奪い合う日本の宝、「遠州織物」の凄みを味わう 世界的な日本ブームの中、さまざまな製品やサービスが外国人から注目を浴びる昨今…
記事をもっと見る氷にも耐えうるアウター、こだわりの”カナダグース”46359pv
トヨタが提案する車のサブスクリプションサービス43646pv
上に乗るだけで体幹づくり、ドクターエアの威力とは42653pv
2024年09月27日 発行
最近見た記事