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北海道・仁木町の雪は、葡萄とヴィニュロンの心強い味方。【ワイン航海日誌】

北海道・仁木町の雪は、葡萄とヴィニュロンの心強い味方。【ワイン航海日誌】

2021年8月27日

北の大地、北海道が大好きです。

小樽の街から車を飛ばして約30分ほど。私は今、ニッカウヰスキーで有名な北海道・余市町のお隣り、仁木町にいます。時刻は午前4時、眩しいばかりの太陽の光が寝室まで飛び込んできます。大自然に囲まれた仁木町旭台の高台にあるワイナリーホテルの朝は早く、かつてアイヌの人々は太陽が一番先に降り注ぐ大地を「旭台」と名付けたのだそうです。

ホテルを経営するのは、仁木ヒルズワイナリー。日中は、テラスからは余市川の流れとその先の日本海に加え、余市岳や大黒山の聳える勇姿も楽しめます。そして目の前には、軽い斜面に広がる美しい葡萄畑。この季節は、あと30分ほど経って4時半ごろになると、畑の隅々まで燦燦と太陽が照らすことになります。

ワイナリーリサイズ

余市および仁木の街は、神様が恵んでくれた果物たちが健やかに育つ大地と呼ばれてきました。その昔、大地異変により発生した際、降り積もった沢山の噴石の一部(ゼオライト)が後に日本を代表するフルーツ王国と賞賛させるまでに蘇らせたのです。斜面一面に植えられた葡萄の樹々の背景には、ワイン造りに不可欠な条件のひとつに数えられる「恵まれた気候風土」があります。

約150年前、江戸時代末期から明治にかけての探検家として名高い松浦武四郎は、この地を訪ね歩いた際に「豊穣の大地」と叫び、周囲を驚かせたというエピソードが。そこからはるか昔へと遡れば、この地を知り尽くしていたアイヌの人々の存在があります。周辺は、縄文時代にすでに人が暮らしていたと考えられており、太古の遺跡として有名なフゴッペ洞窟も余市町の名所ですね。仁木ヒルズワイナリーを訪ねる際には、ぜひ足を伸ばしてみることをおすすめします。ほんの少し離れた西崎山に登ると、環状列石(ストーンサークル)にも出会えますよ。約3500年も前の太古の時代に想いを馳せながら、きままに彷徨い歩いてみてはいかがでしょうか。

さて、丘の上から望む余市湾。突き出たシリパ岬の景観は、実に素晴らしいのひとことです。この美しい仁木・余市の歴史を学ぶことは、北海道産ワインの原点へと回帰する思考の旅でもあります。その魅力はひと筋縄ではいかず、収穫した葡萄について語るだけでも一年は掛かるほどの奥深さ。その一端に触れれば、きっと現地を旅してみたくなるはずです。

仁木ヒルズワイナリーから数分の地には、ゼオライト山が存在します。仁木・余市の果物やワインを学ぶには、まずこの地の葡萄畑の土壌深くに多く含まれる摩訶不思議な鉱石の知識が最初の手がかりとなるでしょう。一般的に、我が国の土壌は薄い火山灰に覆われているとされており、水分量が多く根が横に這ってしまうため、醸造用の葡萄を育てるには少し無理があるのかなと思います。ところが、逆に土壌の条件が揃えば、葡萄樹の根は3~5mの地中深くにまで根を張ることができます。豊かに育ったワインがグラスの中で醸し出すふくよかな薫りを楽しむたびに、私はこの地の気候風土に感謝を捧げるのです。

ゼオライト山リサイズ

とは言え、その特性を引き出してくれるのは、寝食を忘れて葡萄造りや醸造に魂を注ぎ、日々切磋琢磨を続けておられるヴィニュロン(葡萄またはワインの生産者)たち。私たち愛好家は、彼らの功績を決して忘れるわけにはいきません。

「百の書物よりも一杯のワインの中に哲学がある」と讃えたのは、フランスの生化学者・細菌学者、ルイ・パスツール。「ワインのない食卓は太陽のない一日と同じだ」「不必要な必要品、それがワインだ」などなど、ワインに関する名言は世界中に数限りなく存在しますが、そのすべては、実際に汗を流し、ひと房の葡萄から丹精込めてワインを創り出してくれる彼らがいてくれてこそのものなのです。

それは、ここ仁木町でも同じこと。彼らの働きぶりを実際に見なければ、プロのソムリエさんだって「雪の深い北海道でワイン造りは難しい」と誤解されるかも知れません。雪が少なく寒波が厳しい地での葡萄樹たちの越冬は、ヴィニュロンにかなり厳しい作業を強いることになります。しかし、深く降り積もる雪は、実はうまく利用すれば葡萄樹たちを寒波から護ってくれる味方にもなり得ます。

雪と言えば、たとえば、冬の阿寒に滞在すると明け方に森の中の大木の割れる音をよく聞きます。寒さに耐え切れなくなった樹齢古き木たちが、パキンパキンと泣き出します。それは、生命の絶える音。可哀想だと思うより、人生の儚さ、無情さを感じます。それに反して、仁木・余市の雪は、ワイン造りの観点で言えばまさに福音。さまざまな要素との組み合わせで、「恵まれすぎ」と祝福したくなるような気候条件を織りなしているのです。これを見事に活かし切っているのが、生産に携わる人々であるわけですね。

仁木神社リサイズ

コロナ禍が明けて、晴れて仁木町を訪問される日が来たら、ぜひおすすめしたい聖地がもうひとつ。143年前に建立された仁木神社は、全国でも恐らく唯一の「ワイン神社」です。ハイライトは、神前の額の中に書かれた文字。その美しいフレーズは、今も心に残っています。

「神人和楽」、しんじんわらく。


著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。

★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
【17】高貴なるワインだけを愉しみたいなら、洞窟のご用意を
【18】楽しむことが大事なれど、楽しみ方は人それぞれに
【19】よいワインが育つゆりかご、「蔵」について
【20】あれから60年、まだまだ続く「ワインの旅」
【21】片道450㎞、愛車を飛ばして出逢った「奇跡」
【22】もし『雪国』ではなく、函南だったなら…静岡県への小旅行
【23】「沙漠に緑を!」 遠山正瑛先生を偲び、山梨・富士吉田市へ
【24】一杯のワインが人生を変えた…愛知県幡豆郡一色村、とある男の物語
【25】力士たちの仕草に「心」が揺れて
【26】大嘗祭を控える秋。美しいお月様に見守られ、京都を訪ねる
【27】大嘗祭を終えた今こそ、悠久の歴史の渦へ
【28】冬の阿寒、美しく凍える森の中を歩いた6時間
【29】マキシムを栄光へと導いた「私たちのアルベール
【30】車内アナウンスに身体が反応!?長野県茅野市への旅
【31】千年の京都にはどんな”風の色”が吹くのでしょうか
【32】外出自粛の春に想う、奥の細道、水の旅
【33】緊急事態宣言解除で思い出す旅の楽しさ、素晴らしさ
【34】フランソワ一世の生誕地「コニャック」を訪ねて
【35】軍神とその妻、人生の最後に寄り添ったワイン
【36】ドイツ・ミュンヘンの名物イベントに想いをはせて
【37】伊豆、とある館にひそむ物語
【38】旅は人生そのもの、柔道とワインの達人との一期一会
【39】初めての出会いから60年余。いまこそ、贈りたい言葉
【40】「運命」を感じに、部屋の中から壮大な旅を
【41】雪の向こうに見えるもの。川上善兵衛に、改めて敬意を。
【42】散切り頭を叩いてみれば…明治は遠くなりにけり
【43】風の道、森の恵み…ワイン造りに大切なもの。
【44】風は淡い緑色…茶の安らぎを求めて静岡県島田市へ
【45】なくても生きてはいけるが、なくては人生じゃない。

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