2021年6月28日
齢82歳にもなると、何故か日々、人恋しくなります。ふと思い立ち、新幹線に飛び乗って静岡は島田宿へ。月に一度は訪ねるよう努めている地で、旅の魅力は数えきれませんが、今回は主に「お茶」を辿ってみましょう。
まずは、JR島田駅の真ん前でいつも私を待ってくれている立派な像にご挨拶を。この方は、今を遡ること800年ほど前の『喫茶養生記』で知られる栄西禅師(1141~1215)。お茶の苗と実を持ち、お茶の葉に模した荒波を越える若き日のお姿です。
栄西禅師は、平安時代末に留学した宋からお茶の実を持ち帰った臨済宗これを生すれば其の地は神霊なり」とあります。私はワインの素晴らしさに長く親しんできましたが、日本茶にしても紅茶にしても、じっくり学ぶとワインとの類似点が多いことに驚かされます。
日本茶は、遣唐使とともに中国へ渡っていた留学僧らが帰国して伝えたお茶がルーツと言われていますが、この一行のひとりが栄西禅師だったわけですね。よくよく調べてみると、お茶づくりもワインと同じように、もしかしたらそれ以上に気候風土が重要とされているようです。我が国における茶葉の生産地は、ワイン用の葡萄の生産地よりも限定されているかも知れません。
幻と呼ばれる茶葉の存在から常茶の世界まで、裾野が極めて広いこともワインの文化と同様です。最近はペットボトルが勢力を伸ばしましたが、かつては日中に外で働く方々がお昼ご飯のお弁当を広げるシーンでは、必ず大き目のやかんに入ったお茶を目にしたものです。ワインにも同じことが言えるのですが、私はこうした名もなき常茶の世界も大好きです。お値段や品質の違いはさて置き、人の心を癒し、もてなしの心を表現できる飲み物の文化は、本当に素晴らしいですね。
私たちは、いかにしてお茶に出逢い、生活の中に取り入れて楽しんできたのか。歴史に触れるために書物を開くのも楽しいのですが、時には宇治の茶畑で有名な和束の里や、福岡県の玉露茶で超有名な八女の里、伊勢や狭山の地を彷徨い歩く旅に出るのはいかがでしょう。
奇しくも先日、八女出身の友人から八女茶の贈り物をいただきました。創業文政2年(1819年)と歴史も深い古賀製茶本舗の『八女伝統玉露 雅 陽の雫』という銘茶です。ラベルには、「茶は渇きを止むるに非ず 飲むに非ず 喫するなり」との教えとともに、小川可進という名が。軽く調べてみると江戸後期の人物で、京都の医者の家系に生まれ、自身も漢方医として身を立てながら、好きが高じて煎茶の世界へ。50歳で医者を廃業し、独自の流派を立ち上げたるにまで至ったそうです。
『喫茶弁』『煎茶記聞』といった著書がありますが、前者には「茶は渇を止むるに非ず、喫するなり、初碗、香を賞し、二碗、味を賞し、三碗、其の茶を賞す」とあります。う〜ん、深いなあ! もし彼にワインについてお言葉を頂戴したら何と仰るだろうか…と、一服しつつ思いを巡らせます。適量については、きっと厳しかったのでは。「ワインに適量なし、酔心に適量あり」といったところかな?
可進は、京都の左京区にある浄土宗派の大蓮寺にあるお墓に眠っているとのこと。いつかは訪ねてみたいものです。合掌。
さてさて、話が逸れました、島田宿を巡りましょう。茶どころの朝は早く、中でも島田や藤枝のラーメン屋さんなどは午前7時の開店で、しかもすぐにテーブルがいっぱいになります。俗に「朝ラー」と呼ばれているのですが、午後の2時には店を閉店してしまうのですから、早起き文化も本物です。
私がよく訪ねるお店のひとつが、島田の御仮屋町にある『ル・デッサン』さん。フランス語の店名ですが、本格派のラーメン屋さんです。東京ではほとんどラーメン食べない私が、月に一度は一杯千円のラーメンを食べに新幹線に乗っています。ラーメンも素晴らしいのですが、やかんに入った島田の水、サービスされる島田のお茶に魂を揺さぶられる思いです。
近くには、島田市内を流れる大井川に架かる蓬莱橋があります。1997年、ギネスブックに「世界一長い木製歩道橋」として認定されたことで有名ですね。明治12年(1879年)1月13日に造られたのですが、何と全長897.4m。長さに驚いて見落とさないでくださいね。「やくなし」は「厄無し」、長い木の橋は「長生きの橋」。そんなわけで、厄払いや長寿のパワースポットとして知られています。橋の袂には、なぜか勝海舟の珍しい背広姿の像が。蓬莱橋と対岸の茶処で有名な牧之原大茶園を仰ぎ見ています。現在、牧之原台地は静岡県を代表する茶葉の生産地として名を馳せていますが、その裏には、明治元年(1869年)から牧之原台地の開墾に従事した旧幕臣たちを物心両面で支えた勝海舟の功績があるのです。
少し離れますが、金谷の『ふじのくに茶の都ミュージアム』もおすすめです。小堀遠州ゆかりの日本庭園や茶室をはじめ、茶の歴史の奥深さを存分に体感できますよ。時間が許せば、大井川鐵道で北の川根〜千頭あたりまで足を伸ばすのも悪くないですね。私の場合はさらに北上し、井川まで旅するのが定番です。本稿の最初に記した「淡い緑」とは、井川湖畔の自然歩道に吹く風の色のこと。旅の魅力は自分の肌で感じることだと思いますが、ここ井川では風の色を「肌で観る」ことができるのです。
金谷駅から65km、大井川鐵道の旅はいつも一人旅。あなたも旅してみませんか。
静岡の茶を辿ると、明治8年(1875年)、インドのアッサム地方やダージリン地方、セイロン島への旅に出た元幕臣、多田元吉のエピソードが欠かせません。翌年に帰国し、アッサム地方から持ち帰った紅茶の原木を丸子で栽培し、併せて機械技術の研究でも成果を挙げたという精力的な人物です。そんな時代に思いを馳せていると、ほら、遠くから唄声が聞こえてきます。
♪夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは 茶つみじゃないか あかねたすきに 菅の笠……。
最後に、もうひとつ。こちらは元禄7年(1694年)、大井川の川留めで島田宿は塚本如舟宅に逗留した際に詠まれた句とされています。
駿河路や 花橘も 茶の匂ひ 芭蕉
著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。
★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
【17】高貴なるワインだけを愉しみたいなら、洞窟のご用意を
【18】楽しむことが大事なれど、楽しみ方は人それぞれに。
【19】よいワインが育つゆりかご、「蔵」について
【20】あれから60年、まだまだ続く「ワインの旅」
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【27】大嘗祭を終えた今こそ、悠久の歴史の渦へ
【28】冬の阿寒、美しく凍える森の中を歩いた6時間
【29】マキシムを栄光へと導いた「私たちのアルベール
【30】車内アナウンスに身体が反応!?長野県茅野市への旅
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【33】緊急事態宣言解除で思い出す旅の楽しさ、素晴らしさ
【34】フランソワ一世の生誕地「コニャック」を訪ねて
【35】軍神とその妻、人生の最後に寄り添ったワイン
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2024年09月27日 発行
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