Travel & Gourmetトラベル&グルメ

軍神とその妻、人生の最後に寄り添ったワイン【ワイン航海日誌】

軍神とその妻、人生の最後に寄り添ったワイン【ワイン航海日誌】

2020年7月30日

西行といえば古来、日本人に最も愛された歌人です。平安末期から、源平の争乱の時代を生きた西行は、出家後、月と花を友にし、諸国を旅して歩きました。その域には遠いものの、私も、ワインとの深い関わりのある御方様の歩いた足跡を訪ねる旅を楽しんでおります。

本日は、戦前戦中を駆けたある軍人の人生を、駆け足で辿ってみます。昭和13年(1938年)生まれの私は7歳の時に終戦を迎えましたが、当時の辛く苦しい暮らしのことは覚えておりますので、もちろん戦争は大嫌いです。二度と体験したくない時代ですが、その人物の波乱万丈の人生には、ワイン好きとしても「記憶に残る一本」がありました。

嘉永2年(1849年)11月11日、江戸の麻布日ヶ窪にあったとある長府藩士の屋敷で、ひとりの男児が生まれました。いま私が住んでいる元麻布3丁目からは、歩いてわずか200mの距離です。彼は、幼名を無人(ナキト)と名付けられ、9歳までこの地で育ちます。現在も存在しますが、近くの櫻田神社が彼の格好の遊び場でした。

2桜田神社

やがて一家は江戸を離れることになり、故郷の長府(現在の山口県下関市)に移ります。帰藩の旅では、厳格な父に連れられて、無人少年も京都まで歩き通しました。距離にして何と約500kmもの道のりを踏破した計算になりますが、生まれつき身体が頑強だったわけではありません。それどころか、妹にいじめられて涙することもしばしばの泣き虫な少年だったとか。彼は三男ですが、「無人」という名には、上の兄2人が若くして夭折していたことから、強く健康に成長して欲しいという父・乃木希次と母・壽子の願いが込められていました。

元服し、名前を「源三」と改めた彼は、学者として道を進みたかったようで、学問へとのめり込み始めます。しかし、武士になることを望んだ父と対立し、家を飛び出してしまいます。長府から70km以上も離れた萩まで歩き、吉田松陰の叔父に当たる松下村塾の創始者・玉木文之進に弟子入りを試みました。厳しい道のりを自分の足で歩いた源三ですが、父の許しを得ずに訪れたことを文之進に責められ、追い返されそうになります。

この時、それを止めたのが、文之進の妻・辰子でした。こうして何とか玉木家の世話になることができるようになったわけですが、この時、もしも突き放されていたら、のちに「軍神」と呼ばれる源三の人生はまったく変わっていたかも知れません。

文之進のもとでは、農作業を手伝う傍ら学問の手ほどきを受けました。慶応元年(1865年)9月、源三は毛利の本藩である萩藩の藩校・明倫館に入学。文学寮に通学して文武両道を学ぶ一方で一刀流剣術にも傾倒し、のちには技術習得を意味する「目録伝授」へと至ります。翌・慶応2年には、幕府の長州征伐が再開され、世にいう四境戦争に突入。当時16歳の源三も報国隊に入隊し、砲一門の長として小倉口の戦闘に参加します。ご存じの通り、大砲は当時としては最大の兵器。その運用の如何で勝敗を大きく左右しますが、この若さで指揮官のひとりに抜擢されたことは、同志たちの中でいかに頭角をあらわしていたかがうかがえます。

そして、満20歳の時、藩命により5名の同輩とともに京都伏見の御親兵兵営に入り、フランス式訓練を受けました。この御親兵訓練所は、時の兵部大輔・大村益次郎が新陸軍創設のために下級幹部の教育を行った機関です。ここでも成績優秀だった源三は、翌年7月には練兵係伍長に抜擢されています。こうした快進撃の一方で、なお学者か軍人かと将来を決めかねていたようですが、報国隊の隊長を務めていた従兄弟の御堀耕助の勧めもあり、軍人の道を選びます。そして22歳になって陸軍少佐への大抜擢を受けた源三は、名を「希典」と改めました。

秋月の乱や西南戦争、ドイツ留学、日清戦争。紆余曲折を経ながらも軍人としての経験を積み上げ続けて56歳になっていた乃木希典は、明治37年(1904年)に勃発した日露戦争へと身を投じ、陸軍大将として勇名を馳せることになります。

前置きが少し長くなりました。冒頭でも触れましたが、私は、戦争など二度と体験したくはありません。しかしながら、誰が見てもひ弱な少年が軍神と呼ばれるにまで昇りつめ、その名を冠した神社に祀られることになる彼の人生には、歴史ファンのみならず多くの方々が興味を抱くのではないでしょうか。私もまた、国民を想い、命を賭し、さらには敵軍の名誉さえをも重んじる武士道精神で世界中から評価を集める乃木希典の人間性には、やはり思うところがあります。

0え

そこで、各地に鎮座する乃木神社を訪ねる旅を始めたわけですが、中でも、東京都港区の赤坂にある乃木神社の宝物館で出逢った「一本のワイン」は衝撃的でした。乃木大将が忠誠を誓い、深い絆を育んだ明治天皇から賜ったその一本は、フランスの聖地ボルドーのメドック地方で醸されたワイン。明治天皇の崩御が明治45年(1912年)7月30日(火曜日)ですから、1900年代初頭のものと推測できますね。この一本は、乃木大将と静子夫人の人生の最後に寄り添う「別れのワイン」となりました。

同年・大正元年の9月13日、金曜日。この日は、国民が明治天皇と最後のお別れをする御大葬の日。午後8時、桜田門外の近衛砲兵隊の弔砲を合図に寺の鐘が一斉に鳴り響きました。これを合図とするように、乃木大将は、34年連れ添った10歳年下の最愛の妻とともに自刃。明治天皇の後を追い、壮絶な殉死を遂げます。享年64(満62歳)。

先日、私は京都・伏見桃山の乃木神社を参拝しました。その折にいただいた資料の中に、「乃木家の家庭訓 いろは数え歌」がありました。これがまた面白く、調べれば調べるほどに奥深い人間性に触れる思いです。

そんなわけで、本日の最後に、数え歌から2行ほど。名言も多く優れた教育者でもあった乃木大将、そして静子夫人が詠んだ辞世の歌とともにご紹介いたしましょう。

は:箸持ちらば主人と親の恩を知れ吾が一力で飲食と思ふな
に:日本の教は仁義、礼智、信忠孝の道を忘れ給ふな

神あがり あがりましぬる 大君の みあとはるかに をろがみまつる
うつし世を 神さりましし 大君の みあとしたひて 我はゆくなり
希典

出でまして かへります日の なしときく けふの御幸に 逢ふぞかなしき
希典妻静子


著者:熱田貴(あつたたかし)
経歴:昭和13年7月7日、千葉県佐原市に生まれる。外国にあこがれ(株)日之出汽船に勤務し、昭和38年まで客室乗務員として南米、北米を回りワインに出会う。39年にホテルニューオータニ料飲部に。44年~47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーン、イギリス・エジンバラにてワイナリー、スコッチウィスキー研修。48年ホテルニューオータニ料飲部に復職。平成3年に東京麹町にワインレストラン「東京グリンツィング」を開業。平成9年に日本ソムリエ協会会長に就任。「シュバリエ・ド・タストヴァン」「コマンドリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーヴ」「ドイツワイン・ソムリエ名誉賞」など海外の名誉ある賞を数々受賞。その後も数々の賞を受賞し、平成18年に厚生労働省より「現代の名工」を受賞、平成22年度秋の褒賞で「黄綬褒章」を受賞。現在は一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問、NIKI Hillsヴィレッジ監査役などを務めている。

★ワイン航海日誌バックナンバー
【1】もう1人いた「ワインの父」
【2】マイグラスを持って原産地に出かけよう
【3】初めてワインに遭遇した頃の想い出
【4】冬の楽しみ・グリューワインをご存知ですか?
【5】仁木ヒルズワイナリーを訪ねる
【6】酒の愉しみを詠んだ歌人の歩みを真似てみる。
【7】シャンパーニュ地方への旅
【8】エルミタージュの魔術師との出逢い
【9】ワインと光
【10】ワインから生まれた名言たち
【11】ワイン閣下との上手な付き合い方
【12】学問的・科学的とは言えない、でも楽しいワインの知識
【13】ホイリゲでプロースト!旅の途中・グリンツィング村の想い出
【14】幕臣・山岡鉄舟は、果たして酒には強かったのか
【15】ワイン、日本酒、そしてお茶。それぞれの魅力、それぞれの旅路。
【16】北の大地「北加伊道」に想いを馳せて
【17】高貴なるワインだけを愉しみたいなら、洞窟のご用意を
【18】楽しむことが大事なれど、楽しみ方は人それぞれに
【19】よいワインが育つゆりかご、「蔵」について
【20】あれから60年、まだまだ続く「ワインの旅」
【21】片道450㎞、愛車を飛ばして出逢った「奇跡」
【22】もし『雪国』ではなく、函南だったなら…静岡県への小旅行
【23】「沙漠に緑を!」 遠山正瑛先生を偲び、山梨・富士吉田市へ
【24】一杯のワインが人生を変えた…愛知県幡豆郡一色村、とある男の物語
【25】力士たちの仕草に「心」が揺れて
【26】大嘗祭を控える秋。美しいお月様に見守られ、京都を訪ねる
【27】大嘗祭を終えた今こそ、悠久の歴史の渦へ
【28】冬の阿寒、美しく凍える森の中を歩いた6時間
【29】マキシムを栄光へと導いた「私たちのアルベール
【30】車内アナウンスに身体が反応!?長野県茅野市への旅
【31】千年の京都にはどんな”風の色”が吹くのでしょうか
【32】外出自粛の春に想う、奥の細道、水の旅
【33】緊急事態宣言解除で思い出す旅の楽しさ、素晴らしさ
【34】フランソワ一世の生誕地「コニャック」を訪ねて

Recent Newsトピックス

PAGE TOP

最近見た記事

  • 最近見た記事はありません。