2015年7月2日
久しぶりにアドレス帳を開いてみると、ある時期から記録が途絶えていることに気付いた。携帯電話を使いこなすようになって、端末の中で完結できるようになったからだ。今では当たり前のこととなったが、当時はその機能の発展ぶりにワクワクさせられたものだ。いや、スマートフォン用アプリの時代になって、時代の流れについていくのがやっと…というのが正直なところか。デスクトップからノート型へと移行したPC環境は、いまやスマホとタブレット端末で事足りるようになった。かつては重装備が必要だったオーディオは手のひらサイズのスピーカーが信じがたいほど豊かな音を奏で、バスタブはエコ性能を備えた上で常に適温の湯を供給してくれる。街に出ると、駅の券売機は領収証の発行までこなし、自動販売機は商品選びが楽しくなるような大型のタッチパネルを装備。カラオケ店はマニアックな曲まで網羅する形で準備万端、回転寿司店では指先ひとつで好みの皿を注文可能。車に乗れば知らない土地のレストランを苦もなく探すことができるどころか、運転さえも自動車自身がサポートしてくれる、そんな時代。
製品とサービスの進化と深化は、留まるところを知らない。身の回りは何もかもが便利かつ快適に整えられ、以前では想像できなかったような上質な暮らしが、私たちの手中にある。ふだんは気にも留めないが、ほんのひと昔前までは「空想の世界」だったような環境の中で生きているのだ。ちょっと油断すると不平や不満が口からこぼれそうになる毎日だが、考えてみれば、とんでもないほど恵まれた現代。製品の開発者たち、サービスの提供者たちに、改めて感謝すべきなのだろう。その一方で、犠牲になっているものはないだろうか。たとえば、サプライズが連続すると、いつしか意識が麻痺してくる。「ふだん気にも留めない」というのが、まさにその証拠。もはやたいていのことでは驚かない私たちは感覚が鈍っているのかもしれない。驚きのない人生は、すなわち退屈を意味する。新鮮な喜びを感じにくい、感動が足りないと思ったら、一度日常を離れてみよう。
上の写真は、アイスランドの氷の洞窟だ。絵画と見紛うほどの美しさだが、実際に立つと、この「絵」が人工的に着色されたものではないという事実に打ちのめされる。天空に揺れるオーロラも、色とりどりの熱帯魚たちが舞う南海も、轟音とともに水の壁が落下し続ける巨大な滝も、雲を突き抜ける威厳に満ちた高峰も。退屈なんてとんでもない、世界は感動の種に覆われていることに気付き、言葉もなく立ち尽くす。休息が必要なら、森林や高原がある。出会いに飢えているなら、異文化の街がある。知的な発見が欲しいなら、史跡めぐりはどうだろう。気分を一新させたいなら、ラグジュアリーなサービスを誇るリゾートへの滞在が最適だ。たとえ目的がなくても、これといって試したいことがなかったとしても、心が勝手に動き出し、驚きに包まれる。そのたびに、発想や価値観のリミッターが外れ、新しい風景が見えてくる。それが、脱日常=旅の醍醐味。円安を背景に、官民挙げての努力の結果、いま、日本は過去最多レベルの外国人観光客を迎えている。彼らの目から見ると、「日本は驚きに満ちた国」なのだそうだ。「ゴミが落ちていない!」と何の変哲もない道路に向けてカメラを構え、店のトイレから飛び出てきて「便座が凄い!」と興奮しながら仲間に報告している姿を見ると、「旅とはそういうものなのだ」と実感せざるを得ない。
旅は驚きの宝庫、人生の喜びなのだ。いよいよ、夏も真っ盛り。これから秋にかけて、旅に出るにはベストなシーズンが続く。観光でのサプライズは大歓迎だが、道程でのハプニングは御免被りたいところ。驚きや発見を安全な環境で楽しむためには、それなりの準備が必要。そこで7月号のビズスタでは、「旅の準備」について考えてみよう。
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2025年04月25日 発行
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