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写真とは、記録ではなく、のちの記憶となっていくもの。

写真とは、記録ではなく、のちの記憶となっていくもの。

2017年9月28日

写真と生きる第七回では、雑誌・広告をはじめ写真作家としてもご活躍中のフォトグラファー小林修士氏と、同連載並びにビズスタ本誌での表紙撮影等も担当している、フォトグラファー黒田明臣による対談をお送りします。

[黒田]
修士さんとこうして対談というのも新鮮な気分ですが、2014年に自分が写真展というものに初めて参加した際に知り合ってからのお付き合いになりますね。その展示がきっかけで自分は写真の世界にのめりこんでいったので、僕のフォトグラファー人生を一部始終知っている方でもあります。
改めてですが、自分からしてみると、まさに写真と生きているなあと感じる修士さんが今に至るまでの経緯を簡単に説明してもらってもいいですか?

[小林]
最初はカメラマンではなくてね、監督になりたくて、映画の勉強をするためLAに行ったんですよ。そこでコミュニティカレッジという短大みたいな学校に入って単位をとってから違う学校で本格的に映画の勉強をしようと思っていて。
だけど、映画の勉強の助けになるかと思って大学で写真をやったらハマっちゃって(笑)
結局、その学校に二年行ってからその後はアートセンター・カレッジ・オブ・デザインという大学の写真学科で改めてきちんと写真を学ぶことになりました。
そういった経緯で、その後はアメリカでフリーのカメラマンとして仕事をしていましたね。

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[黒田]
いまも映画好きですもんね。誰も止めなかったら3年くらいは話し続けられるんじゃないかなというくらい(笑)。ちなみに、アメリカでどういった仕事をされていたんですか?

[小林]
アメリカでやっていた仕事だと、一つは色んな映画会社のオフィシャルとして俳優や監督を撮っていたかな。映画の宣伝の際に撮影に呼ばれて撮るようなの。
映画会社で頼まれていたような撮影は、だいたい3パターンとか複数背景を変えて撮影するようなものが多かった。女性誌や男性誌や映画雑誌に載せる場合、同じ女性誌で掲載が被った時に同じような写真にならないようにパターンを多く撮る必要があったりとかして。
あ、そうそう、海外では映画会社が撮影した写真を雑誌に使ってもらう事が多かったのだけど、日本だと雑誌でそれぞれ写真を撮影している事が多いじゃない?
それで日本からインタビュアーやスタッフをアメリカに送ってくる事もあったりして、日本の編集やカメラマンと一緒に撮影する事もよくありましたね。例えばLAのスタジオでレスリー・キーさんと会ったりとか(笑)

[黒田]
それ、おもしろいですね?(笑)
初めてブックを見せてもらった時、モーガン・フリーマンとかキャメロン・ディアスとか、ちょっとマイナーだけど個人的には好きな映画監督とか、見慣れた顔がたくさんいたので驚きました。そういう印象もあって周りは全員外国人というような現場を想像してました。
ハリウッドの映画会社から直でやっていても、日本と切っても切れない関係みたいなのがあったんですかね。それなら日本語も忘れないですね(笑)

[小林]
僕がアメリカで撮影した写真が日本の雑誌に掲載されたりもしていたし、アメリカに居ながら結構日本の仕事もやってたから。
あと、ゲッティ・イメージズという写真を素材として提供している会社から制作費を貰い撮影をよく頼まれていたのですが、その時の撮影で一回僕が日本に行って撮影する事もあったよ。あれは不思議な気持ちだった(笑)

[黒田]
それはおもしろいですね。不思議な感覚。そういえば先日ゲッティ・イメージズのアートディレクターとお話した際に、「小林さんとは10年以上の付き合い」とおっしゃってましたね~(笑)
普段から日本の仕事も受けていたとなると、アメリカから日本に戻る事もそんなに違和感はなかったんですかね。
でも何故、わざわざアメリカから日本に戻って仕事をしようと思ったんですか?

[小林]
そうだね。違和感は特になかった。
日本に戻ろうと思ったきっかけは、アメリカでコマーシャル・フォト(玄光社から刊行されているフォトグラファーと広告クリエイターのための専門誌)を購読していて、当時(90年代)の日本を見た時にとても刺激を受けたのが大きいかな。特にライティングの本がよかったなあ。僕は本を見て勉強していたので影響を受けていましたね。

[黒田]
なるほど、90年代の日本の写真に刺激をうけて戻ってきたというような事は、初めてお会いした時にも言っていましたね。

[小林]
そんな感じ。仕事の面でもこの業界に日本人の知り合いが複数居たりしたのもあって日本でも仕事を行える環境が整っていたのが良かった。

[黒田]
逆輸入的な感じですね。
ところで、修士さんはアメリカに居た時ってフィルムカメラの時代だったと思うんですが、いつ頃からデジタルに変わったんですか?日本に来てからですか?

[小林]
アメリカにいた頃にもう仕事でもデジタルに移行していたよ。

[黒田]
あ、そうなんですね。自分がカメラを始めた時は、携帯にもカメラがついてる時代ですから、趣味で写真を撮ること自体がもう当たり前だったんですけど、修士さんはフィルムからデジタルに変わって いった流れの中をフォトグラファーとしてやってきているわけじゃないですか。
カメラの普及によって写真を始める人も増えた訳で。そういう流れを修士さんは一貫して写真の世界で見てきてるんですよね、一体どういう気持ちで見ていたんですか?

[小林]
僕は、デジタルによるカメラの普及はウェルカムだったかな。
当時はフィルムだと郵送するので3日とかかかるんだけど、それがデジタルだと1日データを送信し続ければ翌日には届いたりして。後はデジタルだと自分の手元にデータが残っているのも良かった。
撮影でもフィルムの時は、デジタルによるレタッチというのが出来なかったからかなりライティングでの撮影に神経を使っていたけど、それもデジタルになってからはPhotoshopを使って色々と便利になったし。

[黒田]
フィルムでのレタッチは大変そうですね。主に写真屋の方々が(笑)
今はPhotoshopで一発な内容でも。フィルムからデジタルに移っていく中で、時代や写真というフィールド自体の変化もきっとありますよね。

[小林]
時代の流れで言えば、昔はカメラマンになるにはまず誰かの弟子についてからとか、フィルムから始めるとか。いわゆる王道な道があったわけだけど、それが今はそういうスタイルではない若い人たちが出てきてるし、別に今は昔の王道を貫く時代でもないかなと。僕自身はこの流れは面白いと感じるかな。ただこの変化もだいぶ前に感じたことで、今は当たり前になった気もする。あと僕自身、誰かに師事していたわけじゃないからね。

[黒田]
そうですね。それは僕もそうですし、周りにもそういった方はたくさんいますね。

[小林]
もっと今の時代的なところで言うと、もはや写真を撮る行為が特別じゃなくなりSNSで友達がディズニーランドに行ってる写真を見たり、誰かの昼飯の写真を見たりなんて昔は無かったもので、しかもリアルタイムで見る事ができるなんて考えてもみなかった事です。
広告にもその流れが影響しスナップ写真が溢れてきているのを感じるし。
そういう意味でも広告は時代を写していると言えるよね。

[黒田]
広告は時代をうつす鏡って言いますもんね。写真やってるとまではいかなくても、携帯のカメラで良い写真を撮ってる人がたくさんいるから驚きます。モデルの子がInstagramに投稿している写真とか、普通にうまいですもんねえ。
Instagramと言えば、カメラの普及もそうですがインターネットの普及でSNSや写真用サイトから簡単に写真が見れるようになったのも大きそうですよね。僕なんかはそれで勉強してきたわけですし。
修士さんがアメリカにいた時なんかは、僕の想像ですが紙媒体で見ていたわけですよね? いまのネット時代を羨ましいとか思ったりはしないんですか?

[小林]
そう、当時は紙しか無かったからね(笑)
当時は今と比べて見る事ができるカメラマンの作品が圧倒的に少なかったので、今のようにSNSでプロ・アマ問わず色々な写真がみれるというのは、良いことだと思うし羨ましいとも思うよ。
ただ、当時は当時で楽しかったんだよね(笑)次の日撮影っていう時に煮詰まって夜中に本屋で写真集を見たりCDショップでCDジャケットなんかを見ては撮影どうしようかなあと考えたり(笑)
インターネットは検索してその言葉に関連付いたものしか出てこないけど、昔は自ら探しにいくというよりは目の前にパッと予期せぬものが現れるようなインスピレーションがあったかなと。今の方が探すのは有利かなと感じるけど思わぬ出会いは減ったかな。

[黒田]
いや~、写真集を見に本屋に!
年に数回代官山の蔦屋に行くくらいしかないですね!CDのジャケ買いはよくしてましたけど(笑)
ちょっとこの辺りで作品的な話も聞いていきたいんですが、自分なんかは駆け出しなので、仕事に関しても来た球を打ち返しているという感覚なんですが、修士さんは何十年も仕事で写真を撮ってきた中で、仕事では無い作品を今は並行して撮っていますよね。それを撮りたいと思ったきっかけはどこからきているんですか?

[小林]
作品というと言い方が広くなって難しいんだけど…うーん、簡単に言うとテスト撮影みたいな事は仕事の有無関係なくできる限りコンスタントに行なっていて、その時の気持ちは宣材という意味合いが強かった。日本に帰ってきた時に撮っていたリフレクションというシリーズはその傾向が強くて、仕事につなげる意識で撮っていたり。
ある日ふと、仕事と全く関係のない意識で撮影をしていたのは学生の時しかなかったなあと思って。撮りたいものを撮るというような、個人的な趣味の撮影。なので、宣材とかは考えず純粋に仕事という考えを排除したシリーズを作りたいなあと思ったことから生まれたのが昭和という今取り組んでいるシリーズで。

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[黒田]
その気持ち、自分なんかは今すごく逆の意味でジレンマを抱えている部分ですね。これまで趣味で撮りたい写真をシンプルに撮っていたのものの、これだとブックには載せられないなあとか思っちゃって(笑)。プライベートの撮影も宣材的な意識が常に頭に出てきちゃいますね。でも、なんで昭和なんですか?

[小林]
それは、何か作品を撮って発表するにあたり、いわゆる海外っぽいような写真というか。海外で撮れるような写真を撮ってもそれは本場のモデルと背景で撮っているものには叶わないんじゃないかと思ったのがはじまりで。それなら日本だからこそ撮れる風景とモデルで作ろうとなった。そこで日本をテーマにするなら極論を言えば芸者や侍で良いわけだけど、それは自分が生きていない時代であって「自分の中に無い作品」になってしまうので、それを撮ってもしょうがないのかなと思って。
僕の場合、89年まで日本にいてそれからはずっとアメリカだったのでそう思うと僕が体験した日本は70~80年代しか無かったんだよね。つまり、僕には昭和しかなかった。

[黒田]
「僕には昭和しかなかった」これは名言が出ましたね(笑)
でも、そもそも昭和というシリーズは仕事でもなくて、宣材でもなくて、何をモチベーションに撮ってるんですか?突き動かす根源というか。目標というか。まあただ「撮りたい」って気持ちはすごく自分にもあるのでわかりますけど。なんか粋な理由があれば聞きたいですね。

[小林]
僕は目標に突っ走っているというより、やりたい事をやっている感覚。
例えばだけど、最初にフルマラソンをやろうという目標でマラソンを始めたわけじゃなくて、マラソンをやっていたところでフルマラソンをやろうという思いも出てきたみたいな感覚?
最初から全て決めてたわけじゃなく、撮っていく中で作品自体が成長していくんだよね、枝葉がついて大きな木になっていくような。
昭和シリーズには簡単なストーリーがあるのだけど、これも実は最初からあったわけではなく、2~3人撮影した後にできたものなんだよね。最初は撮る人たちに向けて作品の影と湿度を伝えるために話していたイメージがストーリーになっていったというか。

[黒田]
作品自体が成長していく、深いですね。
自分はそこまで継続してないですけど、それはすごくわかるものがあります。しかし修士さんの昭和シリーズの作品ってかなり女性に切り込んでいってますよね。普通人が撮らないような写真を撮影し続けている訳じゃないですか。
作品を撮るにあたってその切り込み具合に対するこだわりはあるんですか?

[小林]
うーん…もう少し若い頃はモテたい意識があったからか、例えばエロティックな妄想とかあんまりこういう事を言うのはよくないなあと思っていたんだけどさ。ある程度年をとったら、もう結婚することもないし普通の家庭を持つことはないだろうから、そういう格好つけるのは良いかなと(笑)
もはや普通の暮らしを送っていない僕が紳士な自分を演出する必要は無いのかなと思ったんだよね。自分が隠しているところを出すっていうのは商業を的にしていた作品にはできなかった事でもあるし。なので昭和のシリーズは誰にも見られなくて良いという気持ちで撮ってる部分もあるよ。

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[黒田]
それ…滅茶苦茶面白いですね。もう「オレに怖いものなんかない!」という感じですか。

[小林]
そこまで言ってないけど(笑)
ただ、それが「密会」というテーマに繋がっていった。今度発売する写真集のストーリーなんかは、今Amazonに掲載されているサンプルに文章が載っているので見てもらうと良いかも。ストーリーとしては、元々は密会の記録として写真を撮っていたものがだんだんと写真を撮ることが目的となっていくような話なんだけど。

[黒田]
あ、載ってるんですね。ちょっと後で見てみます。
そのストーリーもなんか、まさにさっき話していたようなマラソンがフルマラソンになったような流れにリンクしますね。

[小林]
そうそう。

[黒田]
自己投影しているわけじゃないんでしょうけど、無意識でもリンクしてくるのがおもしろいですね。さて、結構話し込んでしまいましたがそろそろ時間が…(笑)名残惜しいですが最後に、修士さんにとっての「写真とは何か」をお伺いして締めたいと思います。
何かビビっとくる名言を残していただいてもよろしいでしょうか

[小林]
無茶振りだな(笑)
ただ、写真について日頃思っていることはあって。元々写真は、記録と記憶なんじゃないかなと。
僕らが撮ってる仕事の写真は記録であって記憶じゃないんだよね。いくら頑張って素晴らしい写真を撮ってもそれは個人レベルで言うと記録でしか無いわけ。
対称に、普通の家族の間で撮ってるような写真は記憶であると思うんだよね。記憶の写真は家の匂いを思い出すような、家の見取り図やここで転んだなあ、みたいな思い出が引きずり出させるものがあるわけ。
それが写真本来の意味のある写真じゃないかと僕は思います。写真の在り方として。その時の記録ではなく、のちの記憶になっていくもの。
なので、写真を撮る行為が特別では無くなった今の時代は、思い出が増えていって良いことだと感じています。
僕の父親が子供だった時代なんかはカメラがすごく高価なもので、カメラ自体が特殊なものだったみたいし。自分の子供時代でもフィルムや現像代、プリントの代金はやはりかかっていたので今ほど気楽にスナップをみんなが撮るという時代ではなかったと思う。なので、どんどん家族の写真とかは撮っていってほしいですね。

[黒田]
たしかに、自分は修士さんより一周り下の世代ですが、それでも子供の頃は修学旅行のフィルム写真を一枚何百円とかで買っていましたね。ああいう普段何の気なしに撮られた幼少期や家族の写真が、全てのちの記憶となっていると言うのは実感します。それが本来の写真の在り方なのかもしれないですね。当たり前のようで忘れられがちな事を思い出した気がします。
小林修士さん、 ありがとうございました。


 

プロフィール
小林 修士(こばやし しゅうじ)
1989年、渡米。
アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン写真学科卒業。
1996年よりフリーランスとして活動を開始。
ロサンゼルスをベースにハリウッドのセレブリティの撮影をする。
2011年に帰国し、雑誌、広告などの分野で活動中。
2016年3月神保町画廊にて個展「left behind -残されたもの-」開催
2017年9月に玄光社より写真集「密会」発売予定。
http://shuji-kobayashi.com/

制作 出張写真撮影・デザイン制作 ヒーコ http://xico.photo/
カバー写真 黒田明臣
出演 小林修士

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