Special Issueビズスタ特集

夙川で歴史を紡ぐ、閑麗な邸宅地。

夙川で歴史を紡ぐ、閑麗な邸宅地。

2017年5月25日 PR

かつては名次神社の聖域
今も庭園のように美しい界隈

春には見事な桜が咲き誇り、多くの人々でにぎわう夙川。さまざまな文学者や科学者を育んできた、西宮を代表するその清らかな流れの左岸に、万葉の時代から歌に詠まれてきた風光の地がある。  「吾妹子(わぎもこ)に 稲名野(いなの)は見せつ 名次山 角の松原 いつか示さむ」(万葉集第三・高市黒人)。この歌にも登場する名次山や、その隣にあるニテコ池の界隈は平安期、式内社に列せられた名次神社の聖域であったという。ニテコ池の歴史も古く、その由来は室町時代まで遡る。当時、西宮戎神社の大練堀を造営するための土が、この池の付近で採取された。その土を戎神社まで運ぶとき、人々が「ネッテコイ、ネッテコイ」と声をかけたのが「ニテコ」に転訛して池の名前となったと伝えられている。  昭和になり、ニテコ池畔には邸宅地が拓かれた。以来、アメリカ合衆国総領事の屋敷や、誰もがその名を知る大企業の社長宅、日本の成長を支えた金融政策の指導者など、さまざまな名士たちがこの地に暮らしてきたという。ニテコ池畔は今もその歴史を引き継ぎ、よく手入れが行き届いた庭園のように美しい景観を見せる。豪華な邸宅が建つ南郷山一帯の緑、池を取り巻く松並木、遠景には西宮のシンボル甲山。豊かな緑を映し出す水面は、静謐に澄み渡る。  錚々たる名士に愛されてきたこの池畔の一画に、今まで宅地化されたことのない豊かな杜があった。ニテコ池に向かって張り出した岬状の敷地で、開放感あふれる眺望も魅力だ。ここが今、実は新たなる邸宅地としてその歴史を刻み始めている。先人たちが大切に守ってきた美景を受け継ぎ、次代へとつないでいく場所。苦楽園口駅からもフラットな道のりで来られる絶好のロケーションに、注目が集まっている。


 

<プラウド苦楽園>
野村不動産/関電不動産開発
TEL/0120-065-225
営業時間/10:00〜17:30(土日祝18:00まで) 定休日/水・木曜日


 

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